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 2003年12月の日記より
 12月20日(土)
博物館の食堂にて
今年もあと僅かになってしまった。こんなにひどい年もなかった。これから空自派兵が年内にも行われるのだろうか。

 久しぶりにA博物館に出かけてみた。時分時で食堂に入る。となりの席で2人の熟年の婦人が食事をしながらの会話がよく聞こえてくる。
 「何十年も働いてきて年金を減らす、課税をすると言っているけれどそのお金をどこに使うのかしらね。無駄な公共事業や軍事費に使ってもらいたくないわよね。」「小泉さんはブッシュと特別な関係にあることを言って、アメリカについ追随ばかりだけれど、フセインが捕まったときブッシュから電話がなかったのよね。」など鋭い指摘をしている。

 小泉「首相」や閣僚がいくらごまかしても奥さん達はこれを見抜いているのである。 なんとかこの声を大きくしてゆかねばならない。
 2003年8月の日記より
 8月12日(火)
モー娘。の自衛官募集ポスターにNO!
こんにちは。賛同人Mです。
今年は「8・6ヒロシマ」に行けなくて残念でした。
有事法・イラク派兵法成立下であり、かつ広教組への銃撃、強まるばかりの広島の平和教育つぶしというなかでの「被爆地からの訴え」ということで、今年もまた特別な「8・6ヒロシマ」だったと思います。
  ところで、朝ワイドショーを見てたら、とんでもなく許しがたい「話題」が放送されてましたので、そのことを書きたいと思います。
 

 8月11日の朝、たまたまフジテレビの朝のワイドショー「とくダネ!」を見ていたら、モーニング娘。(以下、モー娘。)が自衛官の募集ポスターに出演という、驚くべき「話題」を放送していました。

 『週刊金曜日』の7月11日号で、モー娘。がCSの「ピースチャンネル」 (注1)という名の自衛隊広報垂れ流しチャンネルの「広告塔」になっていたのは知ってましたが、ついに自衛隊「本体」のPRにも駆り出されたというわけです。
 (注1)http://www.peace-channel.co.jp/

 モー娘。は言うまでもなく、押しも押されもせぬトップアイドルグループと して知られています。そういう存在である彼女たちが、そもそも憲法違反の軍事組織であり、有事法・イラク派兵法成立下で「殺し・殺され・侵略する」軍隊に本格的に変貌しようとしている自衛隊に入隊してくれとアピールするのですから、全くもって許しがたいことであり、強く抗議したいと思います。

 この番組で、コメンテーターのおすぎさんが「モー娘。のメンバーが自衛隊についてどう考えているのかを知りたいし、とにかく防衛庁もモー娘。側も安易よね」という趣旨の発言をしてましたが、同感です。

 「殺し・殺され・侵略する」自衛隊への入隊希望者が減ることを見越してか、少しでもソフトイメージを演出したいという防衛庁の意図は、非常に狡猾で許せません。他方、防衛庁からこういう仕事を持ちかけられて、ホイホイと引き受ける所属事務所(しかも無料で!)の姿勢も、厳しく弾劾したい。

 『報知新聞』のニュース(注2)では、事務所側は「日ごろ私たちを力強く守って下さっている防衛庁、海上保安庁、警察官、消防官などの皆様のお役に 立てればという気持ちでお受けした」と話しているそうですが、まさに何をか言わんや。歴史や憲法、平和についてのまなざしを欠く、あまりのいい加減な認識に、言葉もありません。
(注2)http://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/aug/o20030808_10.htm

 モー娘。のメンバー個々人にも言いたい。この状況のもとで自衛隊がイラク、その他海外へ出て行くことは侵略そのもの。そういう「殺し・殺され・侵略する」自衛隊をPRすることは「戦争への道」に手を貸すということであり、それはメンバー個々人の責任が追及されるべき問題である、と。
  トップアイドルたる自分たちが何をさせられているのかよく考え、事務所から言われた仕事であっても、戦争につながるものは今後一切断る勇気を、ぜひ彼女たちに持ってほしいと思います。

     

(管理人感想)
 とにかく驚いた。自衛隊は隊員集めのためには、基本的人権を侵す個人情報を集め、若者の心を捉えるためには人気のアイドルもなりふり構わず利用する。 ピースチャンネルと呼ぶあたかも「政府専用」のメディアと見まごう防衛・治安行政サイドの情報があふれたコンテンツ。 加えてジャーナリズムの機能を失ってしまった多くのメディア。 この事態に気がついていないかに思える民衆。 深刻といわざるを得ない。
 このようなメディアの現状を踏まえて、「子ども記者たちからみたメディア」というテーマで『世界』(8月号、岩波)誌上で12歳から17歳までの少年・少女たちが議論をしていた。 しっかり社会を見つめているのでこれにも驚く。 彼・彼女らが特別な才能の持ち主たちとは思わない。 この若者たちを特別ならしめるようなことをしていることが問題なのであろう。「どうするんだ。エッ!」と自問する。
 2003年4月の日記より
 4月20日(日) 予報通り雨となる。 予定された街宣はいつものところでは出来ず、JR千葉駅よりのガードに近い道路で行う。 チラシの配布と署名のお願いを5名でスタートする。間もなく、群馬から今年高校1年になったばかりのMさんが駆けつけてくれて6人となる。

 Mさんは昨年の11月にHPを見てくれて、受験が間直に控えている12月に、ちば・いちはらの街宣に駆けつけてくれた青年である。 お陰で皆とても元気が沸いてくる。 以下、私達の幹事FさんからHP管理人宛の本日の成果報告である。

 本日はご苦労様でした。 今日の成果は143筆(6人*2h)
でした。 しかし、前回以降から今日までにかけて集まった署名数は317筆。 この中にはMさんが中学生のとき友人にお願いして集めてくれた貴重な43筆が入っています。 本当にうれしかったです。 きっと新しく入った高校で仲間をつくって、6月の大行動(20労組が準備中だそうです。)に参加すことでしょう。

 4月20日現在。ちば・いちはら17,996筆。あと4筆で1万8千、目標の9割に突入です。 県全体では24,767筆です。(82.6%達成)です。

 千葉県連絡会で取組んでいる、エリカさんの署名は117筆集まりました。明日、金先生宛に送ります。
                    2003年4月20日
                          F
 2003年3月の日記より
 3月5日(水)
Mさんの Don’t attack IRAQ(奮闘詰

 戦争を止める・・・緊迫のイラク現地から

@下北沢「北沢タウンホール」 

下北沢駅に近い「北沢タウンホール」11Fで、百万署名世田谷の会主催による「戦争を止める・・・緊迫のイラク現地から」集会。ジャミーラ高橋さんらによる「イラク国際市民調査団」でイラクに赴いた3人からの貴重な報告と、アラブの楽器の演奏。高橋さん本人のあいさつもありました。

 ハリウッド映画などアメリカもののソフトが並ぶビデオショップ、遊園地で遊ぶ家族連れ、保育園の子どもたちの人懐っこい笑顔。この集会タイトルに「緊迫のイラク」と銘打っているけれど、現地ではまるで緊迫感、悲壮感のない普通の市民生活が営まれていた。その一方で湾岸戦争時に避難していた市民が米軍の爆撃で犠牲になった「アメリア・シェルター」や、薬が足りず満足な治療が施せない小児病院なども訪れ、言葉も出せず、ただ見たものを受け入れるだけで精一杯だったそうです。

 楽器演奏は世田谷の会呼びかけ人でもあるUさん。彼女はイスラム教徒になって2年ほどということですが、きらびやかなアラビアの衣装で身を包み、弦楽器の「カーヌーン」をすばらしく流麗に弾いてくれて、私たちを魅了してくれました。

 イラク攻撃となればどんな人たちに爆弾が降りそそぎ、その結果どういうことが起きるのか、深く考えさせずにはおかない集会でした。

 さて、3/8は日比谷公園での「イラク・ピースアクション」に4万人もの市民が結集し、最終デモ出発が18時30分過ぎだったとのことで、大きな成功を収めたようですね。私は仕事のため参加できず、非常に残念でした。
 イラク情勢に緊迫度が増す中、戦争反対の声をもっともっと広げて、イラクへの攻撃をやめさせましょう。
Let's act together for Peace!
 3月2日(日)
Mさんの Don’t attack IRAQ(奮闘詰

 3.2イラク反戦行動 
             in浦和

  @JR浦和
JR浦和駅西口で午後2時から反戦リレートーク。少し遅れて到着しましたが、すでに黒山の人だかりで大変な盛り上がり。百万人署名の埼玉の人々はスタンドを設けて署名活動中。私もそこに加わり、「みなさん、戦争反対の署名はこちらですよ」と声を張り上げました。これだけ目立つ街宣の中での署名でしたので、集まり具合も非常によかったですね。

 各市民団体や学生、テロ特措法・海外派兵は違憲・市民訴訟の会からの熱のこもった発言のあと、旧浦和市街を一周するデモに出発。風が強くて大変でしたが、ここでも「ヨッシーとジュゴンの家」のみなさんがデモを盛り上げてくれて、さいたま市民へのよいアピールになったと思います
 2003年2月の日記より
 2月23日(日)
Mさんの Don’t attack IRAQ(奮闘詰

 一人で街宣in香川

  @香川・高松市
なかなか土曜に休めない私は、2/23, 24(日・月)と休みを取って四国を旅行してきました。その際、高松で列車の乗り継ぎ時間に余裕があるので、その時間を利用して署名運動をやろうと思い立ちました。

 23日の昼にJRで高松入り。本場の讃岐うどんで腹ごしらえをしたあと、市内中心部の商店街でひとり署名板を持ち、信号待ちの市民に声をかけ続けました。おそらく保守が強いであろう地域ゆえ、反応も悪いのではと心配しましたが、さにあらず。イラク戦争と、それを支持する小泉さんにNoの声を届けよう、と話しかけると、次々と署名に応じてくれました。中には自ら駆け寄ってきて、「イラク戦争、反対ですよ」と言いながら署名してくれた女性も。

 署名活動中、私のすぐ近くに社民党香川県連の人々が宣伝カーでやってきてイラク反戦の街宣&ビラ配りを始めました。私はそこに駆け寄り、「一緒にやりましょうよ」と声をかけ、15分ほど「ミニ共闘」。ビラ撒きの2人の方からも署名してもらいました。

 香川県内でのイラク反戦の動きについて話を聞くと、「あるにはあるが政党中心で盛り上がりに欠く」とのこと。私が「東京では労組や市民が中心になって14日に25,000人とか、15日に5,000人とか、かなり大きな運動が持たれましたよ」と言うと、「やはり民衆の中から反戦の声が湧き上がるようにならないといけませんね」と応じてくれました。

 約1時間半がんばった成果は35筆。どんなに保守地盤であろうと、平和を求める声は確実に存在する。そういう声をどんどん掘り起こして、大きな運動を創っていく必要があるなと実感しました。
 2月19日(水)
Mさんの Don’t attack IRAQ(奮闘詰

 私たちはイラク戦争に
  反対します  2.19集会

   @日比谷野外音楽堂
平和フォーラム、市民緊急行動などによる「わたしたちはイラク戦争に反対 します」2.19集会。こちらは見慣れた(?)労組の旗が翻っていましたが、 市民団体や個人参加もいつになく多かったようです。百万人署名運動からは50名ほどが結集。韓国の楽器の演奏や「ヨッシーとジュゴンの家」の歌もあり、また日本消費者連盟のYさんはラップ調のシュプレヒコールを提唱するなど、新しい試みもありました。

 テレビカメラの取材も多く、TBS「筑紫哲也NEWS23」は佐古忠彦キャスターを投入、そのリポートが放送されました。われらが百万人署名運動のデモ待ちの様子も、同番組のエンディングで1秒ほど

 デモは銀座・数寄屋橋を通り常盤橋公園まで。市民団体の列として、百万人署名とその他の小グループ・個人で1団を形成したので、いつもの「Don't attack IRAQ!」「No War for Oil!」に加えて、2.15渋谷デモで実践した「戦争・反対! No War! No War!」のリズミカルなコールも連発し、帰宅途中のビジネスマンらでにぎわう沿道に訴えかけました。
 2月16日(日)
Mさんの Don’t attack IRAQ(奮闘詰

 ちば・いちはら街宣

  @ちばst.

ちば・いちはら連絡会の街宣日でしたが、あいにくの冷たい雨。千葉駅に 降り立ち、いつものタワラ屋前とは違う場所でやってるだろうなとウロウロ探していたところ、雨のあたらない場所で署名活動中のMさん、Fさん、Tさんを発見、私もそこに加わり、署名活動開始。

 前日の渋谷デモを含め、「世界同時反戦行動」の様子が報道されていましたので、道行く人に「今朝のニュースご覧になりました? 戦争反対が世界の声ですよ」と訴えながら署名を呼びかけました。雨だったので署名の数こそ伸びませんでしたが、反応は格段に良くなったと感じました。
 2月15日(土)
Mさんの Don’t attack IRAQ(奮闘詰

 2.15ピースアクション
      in東京
   世界の人々とともに、
   イラク攻撃を止めよう!


  @渋谷・宮下公園
この日も出勤だったので、18:30の集会開始時刻より遅れて会場入り。
 決して広いとは言えない宮下公園は多くの市民で埋め尽くされ、ひしめき合っている状態。人波をかき分けかき分け、やっとこさ「百万人署名運動」の緑の幟のもとにたどり着きました。そこで全国事務局のSさんらと合流。
さらに、賛同会員ではないものの「百万人署名のホームページをいつも見ている」という若い男の子もやってきて、百万人署名グループとしては5人が集まりました。あたりを見渡すと、種々雑多な市民グループの旗や横断幕が林立し、とてもカラフル。また欧米系や中東系、在日コリアンなど、外国人 の参加が目立ちました(「反戦・平和アクション」のページによると、その数500以上で、参加者全体の1割)。このことからも「戦争反対は世界の声だ!」ということを実感せずにはいられませんでした。

 続くデモは公園通り、ハチ公前を通る渋谷一周コース。あまりの参加者の多さゆえか、シュプレヒコールを先導する人もなく、それぞれのグループが「勝手に」声をあげていました。私たちも、すぐ後ろについていたアメリカ人の若者と意気投合し、
「戦争・反対! No War! No War!」と叫びました。

 そのうちNHKが近づいてきたので、私はとっさの思いつきで「反戦平和の運動を伝えないNHKにシュプレヒコールをかけましょうよ」とSさんらに提案。百万人署名グループ+アメリカ人の若者で声を合わせ、
NHKは、平和を求める市民の声を放送しろー!
NHKは、政府追従報道をヤメロー!
NHKは、きょうのデモを放送しろー!
などと、少ない人数ながらも力いっぱい訴えました。
公園通りのパルコ前から渋谷駅ハチ公前にかけて、デモの熱気も最高潮に。
No War!」の訴えにも、一段と力が入りました。
 2月14日(金)
Mさんの Don’t attack IRAQ(奮闘詰

 平和を願う日本の良心を
 今世界に!2.14大集会 
 NO WAR ON IRAQ!
   STOP有事法制

   @明治公園
仕事を何とか定時で切り上げ、電車を乗り継ぎ明治公園へ急行。
 私が千駄ヶ谷の駅に降り立ったのがすでに集会開始時刻(18:30)を過ぎて いたにもかかわらず、会場へ向かう人々の長い列が続いていました。昨年5/24の光景を思い出し、これは大きな結集が実現するなと感じました。
 各政党、労組、市民団体からの熱いメッセージが続く中、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」からガバチョ大統領らがスペシャルゲストと して登場。博士が発明した「政治家のアタマがよくなる薬」をぜひブッシュさんたちに飲ませて、平和な世界の実現を、と熱弁をふるってくれました。
  実はこれ、「ひょうたん島34年ぶりの新作」として2月1日にNHKで放送されたものなんですね。博士がその「薬」の開発で「ノーベル平和賞と医学賞を同時受賞!」ということになって表彰式へ向かったものの、子どもには賞をあげられないと言われて、ひょうたん島へUターンしてきた博士。その間にひょうたん島は変な魔女たちに占領され、「薬」の解毒剤を作るために博士をつかまえようと手ぐすねひいて待っていた。そこで魔女たちが言ったことは、「こんな薬を飲まれたら、兵器が売れなくなって困るじゃないのよ!」。

 ズバリ「戦争の本質」言い当てているとともに、イラクへの攻撃が迫るこの時期にこのネタをもってきたところに、井上ひさしさんの強いメッセージがこもっているのだなと感じました。

 集会後のデモ行進は原宿駅前を通って代々木公園まで。バレンタインデーで華やいだ雰囲気の街中に、「イラク戦争反対!」「みんなの力で、戦争をとめよう!」の声を轟かせてきました。「反戦キャンドル」も、なかなかアピール度があったのではと思います。
 2003年1月の日記より
 1月11日(土) ちば・いちはら街宣・署名は今年2度目である。予定した5名のうち1名は、やはり今日行われた「有事法制に反対する君津地域市民連絡会」の街宣・署名に参加した。私たちの会から参加した人の連絡によれば十数名もの人たちが参加したとのこと。同会は結成以来着実に活動の輪を広げているようだ124筆を集めたとのこと。
 しかし、私たちも負けてはいない4人*2時間で187筆を得た。これによって、2万筆の大台に乗せることができた。ご通行の皆さまご協力ありがとうございます。皆様の大切な一筆はこのまま国会に届けます。どうぞ今年もよろしくお願いします。
 2002年12月の日記より
 12月28日(土) 2002年もあと4日を残すのみとなった。予定通り今年最後の街宣&署名を行った。天気は良いが風は冷たい。4人で署名とチラシの配布を行う。4人*1.5時間で130筆の署名を貰った。年末のせいか人通りがいつもに比べ少なかった。
これで2002年の街宣予定は終了。
 私たちの署名・カンパにご協力いただいた皆さん、そして拙い呼掛けを聞いてくださった皆さん本当に本当にありがとうございました。来る通常国会は正念場です。ともに頑張りましょう。どうぞ良いお年をお迎えください。

小泉首相こと「丸投げ」氏は通常国会を9月までやって全部の法案を上げるそうだ。(12月27日毎日)「丸投げ」氏は「自国の国益ばかり主張するアメリカ」にどこまでも追随し日本の民衆の安全と平和を犠牲にするつもりなのか。こんな人に未来を任せられない。

12月26日「つくる会」は都内で集会を開き、これに拉致被害者のご家族である横田滋・早紀江さん夫妻、蓮池透さんがはじめて出席されたそうである。(12月27日朝日)
 被害者のご家族がどこでどのような発言をされても自由であり、北朝鮮の卑劣な拉致行為は本当に許しがたい。しかし、戦前、日本の国家行為によって膨大な朝鮮人や中国人を内地や従軍慰安婦としてあらゆる戦地へ強制連行したことも厳然たる事実であり、いまなお日本の過去の行為によって苦しんでおられるたくさんの人々がいることに目をつむるわけには行かない。「つくる会」の人々はまさにこれらに口をぬぐおうとする人間としての品性・良心を疑わねばならぬ人々である。私は拉致被害者やご家族がこのような人々に不本意なかたちで利用されるようなことにならなぬようにと心から願っている。
 拉致被害者の皆さんとご家族にとって来年はよい年になるよう心から祈りたい。
 
そして、全国の靖国裁判では「私的参拝」と宣(のたま)いながら「来年も参拝します」と公に発表している小泉首相と「つくる会」の「反省無き友」に年末に当り「第9」に代えてドイツ、ヴァイツゼッカ−大統領の言葉を贈ることにしよう。
 「友よ、よく聴きたまえ!」

 ヴァイツゼッカー演説(198558日旧西ドイツ連邦議会にて)
 我々は、戦いと暴力支配とのなかで斃れた人々を悲しみのうちに思い浮かべる。ことに強制収容所で命を奪われた六百万のユダヤ人・・・ソ連・ポーランドの無数の死者・・・命を失った同胞・・・虐殺された・・・シンティ・ロマ(ジプシー)、精神病者・・・銃殺された人質・・・ドイツに占領されたすべての国の抵抗運動の犠牲者を。
 罪の有無、老幼いずれを問わず、我々全員が過去を引き受けねばならない。全員が過去からの帰結に関わりあっており、過去に対する責任を負わされているのである。
 過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険にも陥りやすいのだ。
 若い人たちにかつて起こったことの責任はないが、その後の歴史の中でそうした出来事から生じてきたことに対しては責任がある。若い人たちにお願いしたい。他の人々に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないように。敵対するのではなく、たがいに手を取り合って生きていくことを学んでほしい。  (永井清彦)
(以上文責:M.H.)
 2002年11月の日記より
 11月21日(木) とめよう排外主義と戦争への道!

 作家の辺見庸さんは言います。
 なによりも拉致事件報道は総じて一次元的で、多分に感情的であり、いずれも深い歴史的観点に欠ける。いや、情緒的である分だけ、深い歴史的観点をもちだすこと、すなわち異論をさしはさむのを許さない危険な雰囲気を醸しているのである。

(辺見庸「反時代のパンセ」第58回、
                  『サンデー毎日』2002.10.20)
 2002年8月の日記より 
 8月17日(土) 土曜日なので街宣のため夕方5時に旧田原屋前の交
差点に行った。その日は不思議なことに常連の顔が見え
ない。遅れて来られるのかと思って一人で始める。
 1時間半程して、40数名の署名を集めたが、とうとう諦
めて帰途につく。家に帰って千葉連絡会のインフォメーシ
ョンを見たら、この日は街宣の計画が無かったことが分か
った。どうしてこう間が抜けているのだろう??

「HP管理人」から一言
 それにしても、転んでも只では起き上がらないこの根
性! 恐れ入りました。
かくして、お便り、日記ご担当のVivamigoさん、お一人で
1,000筆をどの位超えていらっしゃるやら。
 8月15日(木)









憲法第21条:
(1) 集会・結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
(2) 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密はこれを侵してはならない。
小泉首相、内閣閣僚、石原都知事の靖国参拝に抗議す
るため、午前九時半に千鳥が淵戦没者墓苑に集まる。
10時靖国に向けて出発。これはデモでは無いので、歩道
を進むことになっていたが、靖国通りに出るところで、機動
隊に押しとどめられて一歩も進むことができなかった。右
翼の妨害で危険だからということだったが、機動隊は全く
右翼を取り締まらず、我々を規制するのに躍起となってい
るようで、不満だった。

「HP管理人」もこの件につき一言「実感リポート」
 当日、私たちは、憲法第21条(集会・結社・表現の自由、通信の秘密)により、平穏にデモを行おうとしているのに対し、機動隊員たちは私たちに盾を向けた。一方、わたしたちの列に殴りこもうとしている右翼の若者を現行犯で検挙すべきであるところ、抑えるだけで、それ以上取り締ろうとしませんでした。
 昨年も、静にデモをしている私たちに対し、右翼らは投石、殴りこみを行い、7人ものけが人を出しました。このときも現に暴力行為を行っている右翼らを検挙しようとせず、あまつさえ、機動隊の指揮者はわたし達の掲げている小さなメッセージの布切れを取り締まろうと威嚇的な警告を発する始末でありました。
 警察は何をはきちがえているのか、それとも確信犯なのか。現場で真面目に勤務している警察官のためにも、なによりも人類普遍の知恵=民主主義を守るため、外務省より先に、憲法の原点に戻って解体的出直しをしなければならないのは警察の方ではないでしょうか。
 8月6日(火) 8・6ヒロシマ大行動に出席。お便りの項でM.R.氏が書いておられるように、全国から集まった人々で熱気溢れる集会となった。私が特に感動したのは、栗原定子さん御自身による詩の朗読と、被爆者お二人の証言だった。車椅子に座られた栗原さんは、その体験が彼女の全身からほとばしり出るような力強い声で朗読された。

 二番目の詩、「生ましめんかな」では、原爆の地獄絵図の中から生まれた命に表されたか細い希望の光、そしてその光が実在の女性となって栗原さんに花束を手渡された光景には、心がゆさぶれる思いがした。
 2002年7月の日記より
 7月14日(日) STOP有事法制船橋市民集会・デモ」百万人京葉連絡会が船橋市の様々な市民団体、市議の有志等と共同主催で天沼公園で開かれ、約400人が集まった。焼けるような炎天下時折吹き抜ける突風に小石がつぶてのようにぶつかってくる昼下がりだったが、有事法制に反対する船橋やその近郊の市民たちの熱意は挫けなかった。集会後、船橋市民センターまでデモを行った。
 7月13日(土) 千葉高教組主催の「ストップ有事法制7・13千葉県民集会・デモ」では、約100人位の方が労働者福祉センターに集まり、横浜国大の北川善英氏の「有事法制がねらうもの」と題する講演に熱心に耳を傾けた。この法制の背後にあるものは掲載のグローバル化であり、小泉首相の言う「備え」とは、国内に向けたものではなく国外に向けたものであること等、やさしい言葉で論理的に説明された。集会後はJR千葉駅までデモ行進を行った。途中降ってきたかなり大粒の雨も行進者の勢いをそぐことはできなかった。
 7月6日(土) 6月22日以降日記の記入を怠けていました。その間にもいろいろな活動がありました。土曜日ごとの街頭での署名集めも大分板についてきて、「有事法制」についての説明もかなり滑らかになったようです。といっても信号待ちの人が一生懸命説明を聞いて下さっても丁度説明が終わるころに信号が青になって、「じゃ急ぎますから」と去って行かれるとがっかりします。でも聞いて下さったことは小さくても種が蒔かれたと思って元気を取り戻しています。
 2002年6月の日記より
 6月22日(土) 定例の街頭宣伝の日。本日より、実施時間も夏時間となり、2時間繰り下げ(夏時間は繰上げが普通であるが、暑くなるので炎天時間帯を避けるので当連絡会の夏時間は2時間遅くなるのである)でスタート。にもかかわらず梅雨冷で昨日より10度も気温が下がっている。気の所為か行交う人の数が少く思われる。6人で2時間、178筆の協力を頂く。中年のサラリーマン、私たちの協力のお願いの呼びかけに対し、「国民の安全を軍隊で守らなければ何で守るのか?」の反問に対し、「それでは9.11はなぜ起こったのですか?」と私が再反問したところ、その人は答えることができなかった。考えてもらえるきっかけになればと願う。
 2002年5月の日記より
 5月25日(土)

緊急行動日程で予定された、旧タワラ屋前の署名、街宣活動に参加する。前日5.24大集会の帰宅が午前様になったにも拘わらず5人が参加した。
 法案上程以来、街行く人々の反応も随分と変わってきているのであるが「有事法制案」が国会で審議されていることやその内容を知らない人が多く、世論調査の内容を裏つけている。このことは私たち法案に反対する側にとっても放置できないもので、法案が「人権を大幅に制限し」、「アジアの民衆同士を戦争に追い込む」とんでもない内容であること、「真の世界の安全保障には今こそ日本国憲法の平和主義を広めて行かねばならない」ことなどを是非知って貰わねばならない。
 このための百万人の署名運動であり、私たちの実行する街頭宣伝活動であるが、より多くの市民の参加と効果的な運動に知恵を絞らなければ。5人X2時間→248筆の志を預かる。
昨日の5.24大集会の会場で退職前の職場の仲間に偶然に会った。「居ても立ってもおられずに会場に来た。墨田の仲間を探そうと思っている。」と言い残して会場の人波の中へ。元気そうであった。また、やはりかっての職場の仲間から「会社の仲間たちが色々なところでそれぞれ頑張っている」と今回のことで頑張っている様子をメールで知らせてきた。
 5月24日(金)

「STOP!有事法制 5.24大集会」に参加。連絡会の仲間とは「当日16時までに日本青年館の前に集合し、集会が始まるまで署名集めをしよう」との打合せである。15分程遅れで到着。入口近くで80歳代と思われる婦人が「再審請求の署名」をただ一人で集めていらっしゃる。「ご苦労様です」と一声掛けて署名をする。頭が下がる思いだ。
 会場は未だ人はまばらであったが仲間5人が幟の準備をしていた。すぐに会場の中で署名集めにとりかかった。名古屋から参加された港湾関係の仕事をしていらっしゃる50歳くらいの方3人に署名を頂きお話を聞く。有事法制に動員される当事者としての危機感が伝わる。戦争に駆り出されるのは若者だけではないのだ。
 20筆ほど集まったところで、「後30分したら会場内の署名その他宣伝活動は止めるように」との主催者側のアナウンスと共に雨が降り出し雨宿りとなる。残念!(翌日の集計では我連絡会で126筆となった。)
 18時から開会、会場はさすが人で埋まった。志位委員長(共産党)、生方代議士(民主党)、中村敦夫議員(緑の会)、土井さん(社民党)達の廃案に向けて力強い声明の後、職場や団体、高校生の代表が声明を発表。国会議員に負けない力強さと新鮮さが感じられるアピールである。何としても、政府・与党、多くの国民にこの声が届いて欲しい。
 全体集会後、百万人署名の地域、学校の代表の幾人かがハンドマイクで決意表明をする即製ミニ集会を開き、新宿に向けてデモに出発したのは21時を回っていた。
 シュプレヒコールを繰返しながら全国から集まった百万人の仲間総勢800人の行進の長さは400メートルにも及んだだろうか。道行く人の注意を十分喚起したものと思われる。無事、新宿駅附近に到着したときは22時を回っていた。20年ぶりのデモ行進。疲れたが達成感もあった。有事法制許すマジ!!!!!
 2002年4月の日記より
 4月13日(土)
     
4月13日(土)午後二時より街頭に立って恒例の「有事法制反対」署名集めを行う。総勢7名で約1時間半程立って236筆の署名があつまった。我がグループの最高記録!このところ毎回の傾向であるが、若い人たちが積極的に署名をしてくれる。しかし、赤ちゃんをつれた若夫婦で署名をしてくれる方は非常に少ない。「今声を出さないと、可愛い赤ちゃんが大きくなった時に後悔することになるよ」と心の中で思いながら遠ざかって行く背中を見送る。「今急いでいるから…。」と歩き去る人には、「反対署名をすることよりもっと急がなければならないことは無いのに」とつぶやく。
そんな中で嬉しかったのは、「僕達も反戦のバンドをやってんです」という男子高校生3人が進んで署名してくれたことだった。有難う、みんな!お互いにがんばろうね。
 4月11日(水)
     
「有事法制案」が16日にも閣議決定がされようとしているなかFさんとわたしども夫婦は署名のお願いのため千葉市内の組合13カ所を訪問した。 役員、書記局員の方々に直接お会いし、お願いをする。機関としての取組みには機関決定がされなくてはならず、その場で取組めるとの返事はいただけなかったものの、1組合を除き検討をしていただけることとなった。お忙しい中組合事務所で話を良く聴いていただいた。役員、書紀局員の方々個人としては有事法制には反対の意思を示される方が多く、中には署名用紙を追加して置いて行くようにとおしゃって下さったり、また、他の組合を紹介していただいたりもした。大組織の中央本部も腰を上げて取り組みを始めているとの話も聞いた。社会で「有事法制」の問題性がだんだんと認識され始めてきているようだ。  K.M.&H.M.
 4月9日(火)
     
4月9日(火)集会があると聞いて12時少し前に衆議院議院面会所の前に行く。しかし、それらしき人の集まりが見えない。日本山妙法寺の方が2人「有事法制廃案」と書いたゼッケンをつけて、太鼓をたたきながら朗々と御題目を唱えていらっしゃる。やはり集会の場所を探してうろうろしている茅ヶ崎からいらした二人の女性に合流して議事堂の廻りを一周して捜しまわったがいくら歩いても棒にも当たらなかった。せっかく来たのだからと妙法寺の2人の仲間に入れてもらい、「有事法制反対」の横断幕をお借りして1時まで反対の意思表示をしてきた。後で分かったのだが、今日もし有事法制案が閣議決定されれば集まるという予定だったのだ。閣議決定は16日にのびたおかげで、少しの時間だったが妙法寺の方たちと抗議行動ができ、連帯感と楽しい経験を味わうことができた。お二人が交互に歌うように唱える「南無妙法蓮華経」が今も心地よく耳に残っている。
 4月7日(日)
     
4月7日(日)午後千葉県教育会館で開かれた、市民ネットワーク・千葉県/平和部会主催の有事法制学習会に出席。軍事解説者の福好昌治氏の非常に分かりやすい解説をとおして、有事法制はここにきて急に論議されはじめたのではなく、自衛隊法103条にはすでに大方のことは決められており、ただその手続きのための法律が無かったこと、そのための法案を国会に提出する機会を狙っていたこと、日本のような細長い領土で四方を海で囲まれている国は軍事力で守ることが不適当であること等がよく理解できた。
2002年3月の日記より
 3月7日(木)
             


千葉地方裁判所前
で第一回口頭弁論
の開廷を待つ人々
3月7日(木)午前11時、小泉首相靖国参拝違憲訴訟の第一回口頭弁論が千葉地方裁判所501法廷で開かれた。10時20分頃には裁判所の門前に40数名が並んでいた。傍聴券は抽選で27人が手にしたが、幸い27人の一人として法廷に入る。三人の裁判官が入廷して裁判が始まる。裁判のプロセスを説明する裁判長の声はぼそぼそして良く聞き取れなかった。公判そのものは短時間であっけないものであったが、原告二人の意見陳述がすばらしかった。二人ともアジア・大平洋戦争で父親を失ったこと、国家神道をかかげた靖国神社が侵略戦争を美化するものであること、神道を宗教としない戦争犠牲者の遺族として様々な悲しみとつらい思い出を新たにする中小泉首相の参拝によって深く心に傷をつけられたこと等を述べられたが、牧師である最初の陳述者は静かな口調で、「百万人署名」の活動にエネルギーを注いでいる二番目の陳述者ははっきりした口調で熱っぽく語り、聞くものたちに深い感動を与えた。基本的人権の中でも特に厳格に審査をされる内面性の精神的自由を土足で踏みにじる行為であったことを改めて知った次第である。
 3月14日(木)

3月14日(木)午後7時より3月の定例ミーティング。出席者7名この時までに集まった署名数は1383筆、目標2万筆に達するにはどうすれば良いか頭をひねる。
 韓国の労組と連帯して戦争反対の声を米紙にのせてはどうか、いやもっと日本国内で戦争反対の声を高めることが先決だ、等々火花を散らすシーンもあった。それぞれがその思うところをぶっつけあうことができるのがこの会の良いところだと思う。
 3月16日(土)

3月16日(土)午後2時より街頭で署名を集める。5人のメンバーが1時間半がんばって、142筆集める。戦争はいやだと署名してくれた高校生、中学生、メンバーの1人がベトナム戦争の戦火から逃げて行く痩せ細った子供達の写真でゼッケンを作ってきてくれた。その写真を見て、署名に応じてくれた女性。一度は無視して通り過ぎたけれど、やっぱり署名しようと戻って来られた女性、中国の方で「私中国人ですが署名できますか?」「どうぞお願いします。」と言うと上手な漢字で署名をしてくれてから、にこやかに「ありがとうございました。」といって歩いて行かれた。私たちの平和を願う市民運動をとても喜んでくれているようだった。今回も様々なドラマがあった。
 2002年2月の日記より
 2月2日(土)

小泉首相靖国参拝違憲訴訟」の弁護団、原告、支援者の打ち合わせ会に出席した。出席者の自己紹介とこの訴訟に対するそれぞれの思い入れが語られた。親兄弟を戦場で失った方々や、軍国時代を実際に経験した方々。靖国神社は天皇のために行う人殺しを義とする制度のシンボルであるという思いが共有された。現在原告は第一次応募者40名、第2次応募者22名の62名である。第一回公判は3月7日(木)午前11時からである。インフォメーションのページを見てください。ぜひ多くの方に傍聴していただきたい。
 2月9日(土) 教育基本法・憲法改悪反対、「日の君」強制反対県民集会が開かれた。
例によって右翼団体の宣伝カーの凄まじい妨害にもかかわらず、県教育会館の大ホールには参加者で溢れた。集会後、身を切るような冷たい風をものともせず「教え子を再び戦場におくるな」「若者に職場を与えよ」等々をスローガンに中央公園までデモを行った。
 2月15日(金) 2月のちば・いちはら連絡会が昨夜開かれた。出席者は9名。活動報告、これからの計画等々について1時間程意見をかわした後、講師を招いてパレスチナの歴史、イスラム教について学習会を持った。イスラエルとアラブとの血なまぐさい争いを1800年代から辿り、西欧諸国の利権がその根っこにあることが良く理解でき、意義深い時間であった。このような勉強会は数多く持ちたいと思う。
 2月16日(土)

2月16日(土)午後2時よりJR船橋駅北口で「婦人民主クラブ」のキャラバン隊に合流して「憲法改悪反対・有事立法反対」の署名運動を展開させる。総勢10数名で2時間署名を訴えた。交代でマイクを握る女性達のパワーとエネルギーの強さが印象的だった。このキャラバン隊は沖縄から出発して各地を回り、この後北海道に向かうそうだ。御健闘を祈る。
 2月23日(土)
      

 
田原屋千葉店前で署名を集める。2時間弱の間に180筆を上回る成果をあげた。特に20代の若者の協力が嬉しい。美しく着飾った40代前後の御婦人の大部分は無表情な冷たい顔で通り過ぎて行く。幼い子供連れの若夫婦で協力して下さる方も数少ない。わが子が成長した時、戦争のため犠牲を強いられるのはそのような子供達であることに思いがいかないのだろうかと歯がゆい気持ちで彼らを見送っていた。
 2月26日(火) 「有事立法・憲法改悪」に反対する署名の取り組み要請を行った。4組合、7分会、4団体の計15ケ所にお願いした。

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